【売却体験談】10社を立ち上げ4社を譲渡 ―「株は原価のまま渡す」連続起業家の出口設計
- 業種
- IT・システム開発/ゲーム
- 年商
- 10億円弱(タイレルシステムズ)
- 譲渡形態
- 株式譲渡(100%)
- 譲渡価格
- 非公開(買い手の開示資料に記載)
- 所要期間
- 約12ヶ月

「会社を売る」という言葉から想像するのは、たいてい創業者が対価を受け取って退く光景です。
保科一男さん(株式会社プエンテ代表取締役)の場合、その形は半分しか当てはまりません。のべ10社を立ち上げ、うち4社を譲渡。上場企業への売却が2回、残りはメンバーへの株式譲渡です。しかも譲るときは、成長分を乗せずに創業時の価格のまま渡してきました。キャリア30年、53歳。出口を何度も設計してきた人の考え方を伺いました。
25年やって、初めて「区切り」を考えた
1社目はタイレルシステムズ。2001年、ITバブルが崩壊した直後の設立です。前職のプロバイダー事業の会社で営業をしていた保科さんが、共同創業者と2人、株式を50%ずつ持ち合ってスタートしました。3年ほどで軌道に乗り、グループでなんだかんだ20億、25億円ほどの規模になった。開発メンバーは30人ほど。派手さはなく、クライアントと正直に向き合って案件をこなす会社でした。ただ、本人にはひとつの前提がありました。
システム開発会社は、レバレッジが効かないのでM&Aに向かない。 売り先がないので、コツコツ頑張っていたっていうのが正直なところ
「売れない業種だ」と思いながら25年続けてきた、ということです。転機は年齢でした。共同代表とは同い年で、27歳での起業。それが50代になった。25年やってきて、ある程度の顧客と、システムに関する知見もかなりついた。
ちょっと早いんですけど、事業承継に近いというか、この先どうしていこうかなというセカンドキャリア的なことを考えた時に、一旦ここで区切りをつけるのはありなんじゃないか
これが共同代表との共通認識になり、買い手探しに1年をかけました。急がず、シナジーの高い相手を探す。結果として2025年、東証プライム上場企業への100%譲渡が成立しています。売却時の売上規模は10億円弱。譲渡額は買い手側の開示資料には出ているものの、本人からの言及は控えられました。
上場企業へのアプローチは10社以内
進め方も独特でした。保科さん自身が2017年ごろから、個人的なつながりの範囲で小規模M&Aの仲介をしていたのです。候補になりそうなところに縁があれば「こういう会社がある」と紹介する形。上場企業に絞ってアプローチし、その数は10社以内。条件は明確でした。
100%子会社でも、その時のメンバーでしっかり体制を維持できる。 顧客もすでにあるので、それをしっかり維持できる。そういった会社さんがいいな、というところだけ決めて
価格ではなく「引き継いだ後も同じ体制で回せるか」を条件にした、ということです。
仲介の目から見た「システム開発会社」の評価
保科さんの「売りにくい」という実感について、M&A仲介の吉岡諒氏(ウィルゲート専務取締役COO)は、市場そのものは強いとしたうえで、評価される資産を2つに整理しています。
1. 実力あるエンジニアが、正社員として何人いるか
2. 顧客資産 ―― どれだけ上流で、直に取引できているか
後者の説明が具体的でした。同じようなシステムを作っていても、大手だと10億円もらえるのがスタートアップだと1億円しかもらえない、ということもありえる。システム開発業界は多重下請け構造になりやすく、間に会社が挟まるほど中間マージンが抜かれます。だから「いい顧客と、なるべく上流で取引できているか」が価値になる。
この2つが揃っていれば相手は見つけやすく、エンジニアが業務委託中心だったり、商流の下のほうにいたりすると難しくなる、というのが整理です(IT・システム開発会社のM&A売却相場)。
保科さんの実感は、これに時代の要素が重なったものでした。エンジニアも顧客基盤も持っていた。しかし2010年代以降、評価の軸が自社プロダクトがどれだけグロースするかに移り、受託中心の会社にはバリュエーションが付きにくくなった、という見立てです。
「渡す時は、創業者の原価のまま」
この回で最も驚かれていたのが、ここです。保科さんは2008年、タイレルシステムズの株式をすべてメンバーに譲渡しています。つまり2025年の売却時点で、保科さん自身は株主ではありませんでした。譲渡益を受け取ったのは、株を持っていたメンバーです。そして渡し方が独特でした。
渡す時には、本当に自分自身が創業者の原価のまま渡してます
成長した分を上乗せせず、創業時の価格で渡しているということです。売却時のロックアップもなく、立場は相談役でした。なぜそうするのか。理由は事業のサイクルにありました。
自分が集中できる期間は、自分の中ではやっぱり3年なんですよ。 3年以上やり続けると、ある程度のシステムなりサービスの形が組織上に出来上がる。そうするとそれを一番回せるメンバーに譲ったほうが、その会社が伸びる
そして自分は次のトレンドへ移る。一社一ドメインで、領域ごとに法人を立てるスタイルです。さらに、人への考え方がその前提にありました。スタートアップは一番リスクがある。そこで一緒にやってくれているということは——
人生かけてやってくれてるメンバーが一番報われる体制がやっぱりいい
会社が生き残っていれば、また付き合いもできるし助け合える。その関係性を続けたいというのが一番大きい、と説明していました。
吉岡氏はこれを「バトンを渡す力」と表現し、こう補足しています。会社は、一番その領域に向いていて、熱意を持っていて、未来にかけて大量の時間を投下してくれる人がオーナーとしてやっていたほうが健全。複数の事業を1社の中で回すか、領域ごとに法人を分けるか。分けるなら、バトンを渡せることが前提になる。渡せないまま会社だけが増えるとリソースが分散する、という指摘でした。
99本外れて、あと1ヶ月で資金が尽きる
もうひとつの譲渡は、まったく性格が違いました。タイレル時代のエンジニアが独立したいと言ってきたため、会社をそのまま譲ったのが始まりです。それがスナウトというソーシャルゲーム会社。後日そのメンバーから「一緒にやりませんか」と声がかかり、保科さんは取締役副社長として参加します。
ゲームは誰も作ったことがありませんでした。そこで決めた方針が極端です。
どういうジャンルを出せば当たるかわからなかったんで、とりあえず100本、年間で作ろうということだけ決めて、毎月10本リリースする
結果は、99本が外れました。 1年半ほどで資金が枯渇し、来月潰れる、200万円くらいしかない、来月給料が払えない、という話をしていた。ここで2つの偶然が重なります。
ひとつ目。 当時のモバゲー・GREEには、デベロッパーがリリースできるアプリ数に99本という上限がありました。100本目を出そうとしてリジェクトされ、1本削って出し直したその99本目が当たったのです。まだ創業直後で企画とエンジニアが2人ほどしかいなかった、いまでは上場して大きな利益を上げているゲーム会社と、開発と企画を分担して組んだタイトルでした。月商は数千万円に跳ね上がりました。
ふたつ目。 ちょうど同じ時期、マレーシアに設立していた法人宛てに面談の打診が入ります。それが上場企業からの買収提案でした。2月ごろに話が始まり、1ヶ月でDDを終わらせ、4月1日にはその会社のオフィスに全員移っていた。2ヶ月足らずでの成立です。
やっぱ打席の数なんですよ
吉岡氏の打席の立ち方を見ていても、それは当てられる、と。
価格交渉らしい交渉はありませんでした。売上規模が数億円で見通しが立つため、「ほとんど向こうの言い値」だったと振り返っています。ただし、1社では決めていません。 もう1社、上場会社と話をして、どちらの条件がいいかを比べて決めた。短い時間でも比較はした、ということです。買い手が1社しかいない状態は、価格でも条件でも不利になります(売却価格を上げる5つの打ち手)。
なぜ買われたのか
買い手側の事情も明快でした。ブラウザゲームを伸ばそうとしていた時期で、開発リソースが慢性的に足りなかった。当たっているタイトルもある。だから「リソースごと買い取りたい」というニーズと合致し、即決に近い判断になった、という構図です。
そしてタイミングも決定的でした。当時はまだパズドラが出ておらず、ソーシャルゲームといえばブラウザゲームだった時代に、ブラウザゲームに全力投入していた。翌年からネイティブアプリへのシフトが始まり、開発コストが10倍に跳ね上がります。ブラウザゲームは1本500万〜1,000万円で作って初月回収というモデルでしたが、ネイティブでは開発1億+プロモーション1億という規模になった。
あのタイミングで売れていなければ、この時代になったら生きていけなかった
打席に立ち続けたことと、波が変わる直前に渡せたこと。この2つが重なった案件でした。
「3社以上から意向表明を集める」
この回で吉岡氏が示していた数字は、売り手にとって具体的な目安になります。M&Aは3社以上から意向表明を集めることができると、オークション的に金額が上がりやすい。そのために必要な母数として挙げられていたのが、次の流れです。
| 段階 | 社数の目安 |
|---|---|
| 声をかける | 50社以上 |
| 検討に入る | 13社 |
| トップ面談 | 6社 |
| 意向表明 | 3社 |
| 最終的に絞り込む | 1社 |
人脈のある経営者なら1〜2社は自力で見つけられる。しかし価格を引き上げるには、競争が起きる状態を作る必要がある、という説明でした。保科さんの2つの案件は、いずれも「複数社と話す」を守っています。
いま取り組んでいること
現在はAIエージェントの開発と、IP事業の2本立てです。後者は、ローファイヒップホップのアーティスト「Mellow(メロウ)」のプロデュース。初音ミクが大好きで、自分でもトラックメイキングをずっとしてきた保科さんが、歌ってくれる相手に巡り合って始めたプロジェクトです。YouTubeチャンネルの登録者は170万人を超え、毎週金曜夜8時の新曲配信を1年続けています。楽曲制作は本人、動画のセットや配信まわりはAIでワークフロー化し、運営は実質2人。手作業なら12時間かかる動画作成も、ワークフロー化しておけば自動で上がる。
そして、その考え方を書籍『知識の複利ループ』にまとめています。中身は驚くほど単純です。
貯める、使って分析する、改善する。 昔で言ったPDCAというこのサイクルだけ
要点は、そこにAIが加わることで属人的なノウハウが形として残ることだと言います。前職の人のノウハウは口頭伝承で体系化されておらず、その人が辞めたら残らなかった。それがAIを使うことで、ノウハウがファイルという形、スキルという形で残る。
人が辞めても会社に残る資産が積み上がる。 これはM&Aの文脈でもそのまま効く話です。買い手が最も警戒するのは、社長やキーマンに紐づいた属人的な利益だからです(売却価格を上げる5つの打ち手)。
始め方も具体的でした。1部署・1業務・1人が1日でできることをまずAIに渡す。1日で測り、問題なければ1週間試す。回るようなら他の人に広げる。それが積み上がって会社の資産になる、という順序です。
この回から持ち帰れること
保科さんの話が示しているのは、出口は一度きりのイベントではないということです。25年続けた会社を上場企業へ渡す一方で、3年で形になった会社は原価のままメンバーへ渡す。1ヶ月後に潰れる会社を、当たった直後に渡す。「いくらで売るか」ではなく「誰に、いつ渡すか」で判断しているのが一貫しています。
もちろん、これは複数の会社を持つ連続起業家だからできる設計でもあります。1社に人生をかけてきた社長がそのまま真似できるものではありません。ただ、「自分が一番伸ばせる時期は終わったかもしれない」という感覚は、後継者不在で悩む社長にも共通します。その感覚が出てきたときが、選択肢を並べるタイミングなのかもしれません(事業承継の4つの選択肢、会社売却のタイミング)。
この記事のポイント
- 「システム開発会社は売れない」は思い込みだった。25年続けた会社が上場企業へ渡っている
- システム開発会社の評価軸は①正社員の実力あるエンジニア ②上流での直取引の2つ
- 譲渡は1年かけて探すという設計。条件は価格ではなく「同じ体制で維持できるか」
- 意向表明を3社集めると価格が上がる。 そのためには50社規模に声をかける必要がある
- 短期決着の案件でも、1社では決めない
- 当たるかどうかは打席の数。波が変わる直前に渡せるかがタイミングを分ける
- 属人的なノウハウを形にして残すことは、そのまま企業価値になる