役員退職金を使った手取り最大化 ― M&Aと退職金の組み合わせ

監修 黒瀧 泰介税理士法人グランサーズ 共同代表公開 2026年8月23日
役員退職金を使った手取り最大化 ― M&Aと退職金の組み合わせ

M&Aで会社を譲渡する際、対価の全額を株式の譲渡代金として受け取るのではなく、一部を役員退職金として受け取る設計がよく使われます。

節税テクニックというより、受け取り方を分けることで全体の税負担を下げるという考え方です。ただし設計を誤ると、損金にならず二重課税に近い状態になったり、買い手との交渉材料を失ったりします。

本記事は一般的な制度の説明です。実際の設計は必ず顧問税理士と行ってください。

なぜ退職金だと有利なのか

退職所得は、次のように計算されます。

退職所得 =(退職金 − 退職所得控除額)× 1/2

優遇が三重にかかっています。

1. 退職所得控除額が引かれる

勤続年数 控除額
20年以下 40万円 × 勤続年数(最低80万円)
20年超 800万円 + 70万円 ×(勤続年数 − 20年)

勤続35年なら、800万円+70万円×15年=1,850万円が控除されます。

2. 残額の1/2だけが課税対象になる

3. 分離課税である

給与など他の所得と合算されず、退職所得だけで税額が計算されます。

株式譲渡と比べてどうか

株式譲渡益の税率は一律20.315%です。退職金の実効税率は金額と勤続年数によって変わるため、「どちらが有利か」は水準次第になります。

勤続35年(控除1,850万円)で退職金5,000万円を受け取る場合、

  • 退職所得 =(5,000万円 − 1,850万円)× 1/2 = 1,575万円
  • ここに所得税・住民税の累進税率がかかり、実効負担はおおむね20%台前半

株式譲渡の20.315%と近い水準ですが、退職金のほうがやや有利になることが多いというのが実務上の感覚です。ただし退職金の額が大きくなるほど累進税率が上がるため、どこかで逆転します。

つまり全額を退職金にすればよいわけではなく、最適な配分があるということです。ここは税理士に試算してもらう領域です。

見落としやすい3つの落とし穴

1. 「不相当に高額」な部分は損金にならない

会社側から見ると、役員退職金は損金になります。しかし不相当に高額な部分は損金算入が否認されます。

実務でよく使われる目安が功績倍率法です。

適正額の目安 = 最終月額報酬 × 勤続年数 × 功績倍率

功績倍率は社長で2〜3倍程度が一つの目安とされますが、法律で定められた数字ではありません。業種、企業規模、同業他社の水準、その役員の貢献度によって判断されます。

否認されると、会社側で損金にならないうえ、受け取った側では退職所得として課税される。最も避けたい状態です。

なお、M&Aの直前に役員報酬を引き上げて退職金の枠を広げるという手が語られることがありますが、これは否認リスクを高めます。短期間の増額は税務署が最も注目する部分です。

2. 勤続5年以下の役員は1/2が使えない

役員としての勤続年数が5年以下の場合、特定役員退職手当等に該当し、1/2にする措置が適用されません。控除後の全額が退職所得になります。

創業社長には通常あてはまりませんが、近年役員に就任した家族に退職金を出す設計では注意が必要です。

3. 退職所得控除の「10年ルール」

2026年1月から、退職所得控除の調整ルールが5年から10年に延長されました。iDeCoの一時金や、他社からの退職金を先に受け取っている場合、控除枠が重複調整される期間が長くなっています。

過去に一時金を受け取ったことがある社長は、受け取りの順序とタイミングで税額が変わります。M&Aのスケジュールを組む前に確認してください。

誰が退職金を払うのか、という論点

ここは実務上いちばん誤解されやすい部分です。

役員退職金を支払うのは会社です。社長個人が株式の対価から払うわけではありません。つまり、

  1. クロージング前に会社が社長へ退職金を支払う
  2. その分、会社の純資産が減る
  3. 結果として株式の評価額も下がる

総額は変わりません。譲渡対価3億円のうち5,000万円を退職金にするなら、株式の対価は2億5,000万円になります。買い手の総支出は同じで、売り手の受け取り方だけが変わるという構造です。

だからこそ、この設計は買い手にとっても不利にならない(むしろ会社側で損金になるぶん有利になり得る)ため、交渉で受け入れられやすい。ただし、

  • 会社に退職金を払う現金があるか。なければ買い手からの資金提供や、クロージング後の支払いを設計する必要があります
  • 損金算入が否認されると、買い手が損をします。だからこそ買い手は適正額かどうかを見ます

この配分は基本合意の段階で決めておいてください。最終契約の直前に持ち出すと、買い手の稟議をやり直させることになり、交渉全体が不利になります。

実務上の進め方

  1. 勤続年数と最終月額報酬を確認する(退職所得控除額と適正額の目安が出る)
  2. 税理士に、配分ごとの手取りを試算してもらう(全額株式/3,000万円/5,000万円 など複数パターン)
  3. 功績倍率法での適正額を確認し、その範囲に収める
  4. 株主総会の決議と、支給に関する規程を整える(手続きの不備は否認の理由になります)
  5. 基本合意の条件に、退職金の額と支払時期を含める
  6. 買い手側の税理士とも認識を合わせる

事業譲渡の場合は意味が変わる

事業譲渡では、譲渡代金を受け取るのは会社です。社長個人がそれを受け取るには配当か退職金の形を取るしかなく、配当は総合課税で累進税率がかかります。

このため事業譲渡では、退職金の活用がより重要になります。ただし会社に法人税がかかった後の資金から支払うことになるため、株式譲渡と比べた手取りの差は埋まりません(株式譲渡と事業譲渡の違い)。

まとめ

  • 退職金は退職所得控除・1/2課税・分離課税の三重の優遇がある
  • ただし全額を退職金にするのが最適とは限らない。配分の試算が要る
  • 不相当に高額な部分は損金にならない。功績倍率法での適正額を確認する
  • 役員勤続5年以下は1/2が使えない
  • 2026年1月から10年ルール。過去の一時金受け取りに注意
  • 基本合意の段階で配分を決める

自社の勤続年数と報酬水準でどのくらいの配分が適切か知りたい方は、無料相談からお問い合わせください。具体的な税額計算は顧問税理士と進めていただく前提で、方向性の見立てをお伝えします。

監修

黒瀧 泰介

黒瀧 泰介税理士法人グランサーズ 共同代表

青森県弘前市出身。早稲田大学商学部卒業。監査法人トーマツにて会計監査に従事したのち、税理士法人山田&パートナーズで相続コンサルティングや組織再編コンサルティングなど、法人・個人を問わず幅広い税務コンサルティング業務に携わる。

2015年に税理士法人グランサーズを開設。スタートアップからIPO準備支援まで、あらゆる成長段階の企業をサポートし、税務会計顧問にとどまらない「経営を強くするコンサルティング」で中小企業経営者から信頼を得ている。

YouTube「社長の資産防衛チャンネル」に税理士として出演し、オーナー経営者向けの税務・資産防衛について解説している。

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