【売却体験談】毎年DDを受けて会社を磨いた ― 「売る気がない時」に決まった譲渡 吉松誠二氏
- 業種
- マーケティングコンサルティング・デジタル広告
- 年商
- 売上約16億円(広告費立替含む)・営業利益7,000万円規模
- 譲渡形態
- 株式譲渡(2段階イグジット)
- 譲渡価格
- 非公開(2段階/約7割譲渡・3割保有)

デューデリジェンスを、年に一度の健康診断として受ける。
売却が決まってから慌てて資料を揃えるのではなく、毎年プロに決算書を見てもらい、指摘された弱点を1年かけて直す。吉松誠二さんはこれを3年続けました。
痛い言葉も言われるんですけど、それに向き合って全部直していって、たまたまその3年10ヶ月のタイミングでスパッと綺麗に行けた
しかも、決まったのは「売る気がなかった時期」でした。
3年10ヶ月での譲渡
吉松さんは新卒でシーエー・モバイルに入社し、サイバーエージェントへ転籍。広告事業本部でプランナーを約2年務めました。もっとお客さんに上流から関われる仕事をしてみたい、と2020年5月、ひとりでデジタルマーケティングの会社を創業します。
最初はサイバーエージェント時代のスキルを活かしたデジタルマーケティング支援と広告代理事業。しかし、ここで方向を変えます。フリーランスが増え、優秀な人が多い中で、デジタル広告の運用だけでは勝てない。そこでコンサルティングへシフト。自社で内製化したリサーチから戦略を設計し、伴走して結果を出す形にしました。
譲渡時点の規模はこうです。
| 直接クライアント | 約70社 |
| 社員 | 10数名 |
| 売上 | 約16億円(広告費の立替含む) |
| 営業利益 | 約7,000万円 |
| 成長率 | 毎期2倍弱 |
2023年、創業から3年10ヶ月で譲渡しています。収録時点で29歳、1995年生まれです。
「健康診断」としてのデューデリジェンス
この記事の核心は、準備の仕方です。きっかけは偶然でした。デロイトのベンチャーサポート部門の担当者と親しくなり、いつかそういう縁が来たらと思って——
決算書だけは毎年送ってたんですよ
意図は売却ではありませんでした。自分は財務のプロではないので、プロに見てもらって健康診断がてらどう思うか聞いていた、と。
そして実際に、譲渡が成立する前に2〜3回のディールを経験しています。1期目の決算後、2期目にはすでに複数社から声がかかっていました。重要なのは、まとまらなかったディールの扱い方です。本気で一緒になりたいと思う企業と何社かDDをしていく中で、「こういう部分が弱い」「財務だったらここ」と課題を指摘してもらえる。それを毎年向き合って、全部直していった。
破談したディールを、無料のコンサルティングとして使う。 買い手は自社の弱点を、利害を持って正確に指摘してくれます。これほど精度の高いフィードバックは、通常なら得られません(売却前に売り手がやるべき準備、デューデリジェンスで何を見られるか、破談が起きるパターン)。
「売る気がない時」が一番いい条件になる
決まったタイミングについて、本人の分析が鋭いものでした。
今回の会社さんとのDDのタイミングって、むしろ売る気はなかったっていうのは本音
そして、その逆の状態がどう見えるかも語られています。
売り急いでるような会社さんって、買い手から見たら逆に「大丈夫?」みたいな。何かあるんじゃないの、だってそんな一緒になる理由ないじゃん、っていう
自分自身にも心当たりがあるといいます。1期目、2期目のDDのときは「やばいな」「売掛金を回収できるかな」と自分の会社に不安があり、少し売ってしまいたい気持ちがあった。重要な社員が何月に辞めると決まっていて嫌だな、というときもそうだった。
対して、決まった時期はイケイケどんどんで「よし伸ばすぞ」と思っていた。向こうから見れば「こんなに今から伸びようとしている会社なら」と映ったのかもしれない、と。
不安があるときに売りたくなり、順調なときに売りたくなくなる。 しかし条件が良くなるのは後者です。この逆説を意識できるかどうかが差になります(会社を売るタイミング)。
2段階の設計 ―― 条件は自分から出した
スキームは約7割を譲渡し、3割を保有し続ける2段階イグジットでした。2段階目の計算式は、ロックアップ後の最終決算で出た営業利益の数倍×残りの株式。この式を、1回目の譲渡の契約書にあらかじめ盛り込んでいます。FAはデロイト トーマツでした。
評価基準を売上ではなく営業利益にしたのには理由があります。会社はもともと売上をバンバン上げるより利益率を高めることに特化していたので、利益のほうが自分に分かりやすい。トップラインで評価されると、自分の背丈以上に伸ばさなければならなくなる。
そして、伸ばすつもりだった時期だからこそ、条件はこちら側から先に提示した。「この条件を基本にやらせてほしい」と、契約書を出すタイミングも含めて主導したといいます。
もう一つ、独特の条件を入れています。
うちの社員の給与に関しては、基本的には弊社側で決める、僕が決めるということは、株式が移った後もやらせていただく
通常なら人事評価制度の統合が発生するところですが、業態も違い、自社のプロフェッショナリズムと「頑張った人に報酬を与える」文化を崩したくなかった。だから社員の給与と人事制度には口を出さない、という条件を先に握った。
吉岡諒氏(ウィルゲート専務取締役COO)は、これを一般論として支持しています。うまくいっている会社は、経営者・幹部・メンバーの人間関係、カルチャー、人事制度、戦略が絶妙なバランスで噛み合っているからうまくいっている。理想は「畑で勝手に育つトマト」で、放っておけば赤くなる。グループインした途端に「全部俺の言うことを聞け、給与も親会社が決める」とやると、バランスが崩れる。だからPMIでは人事制度や戦略には口を出さず、営業の見込み客紹介や、法務・財務・人事といったバックオフィスの支援に回るのが一般的だ、と(株式譲渡契約で確認すべき条項、PMIで何が起きるか)。
2段階にして、成長が加速した
結果は明快です。
譲渡した後の方が会社の伸び率は上がってて、今まで2倍ぐらいだったのが、さらにもうちょっと桁がつくぐらい、売上も利益もどんどん伸びている
理由として挙げられたのが、経営の姿勢の変化でした。肩の荷が下りた感覚がある。今までは綱渡りで、自分がこけたら社員が最悪の状況になる。だからヒットを打ちに行くような戦略が多かった。
ただ、やっぱりホームランを打ちに行かないと、いつまでもこの急成長は続かない
背景には過去の経験がありました。売掛金を回収できないまま顧客に飛ばれ、高額の借入を負ったことがあり、守りに入る「貯金タイプ」の癖がついていた。譲渡後はホームランを打ちに行こうとモードチェンジでき、YouTube出演などにも表れている。親会社とのバックオフィス統合で経営判断のスピードが上がり、メンバーに権限を渡して伸び伸びやってもらったら、それも伸びた、と。
リスクを取れる状態を作ることが、成長率そのものを変える。 M&Aの効果を「資金が入る」だけで捉えると見落とす部分です。
なお、経営者が抱える不安の中身についても興味深い指摘がありました。
借金にビビる社長ってあんまりいない気はしますね。正直1,000万も5,000万も6,000万もあんま変わんない
1億円を超えると少し変わるが、それより気になるのは従業員が増えたときの、その従業員たちの人生。自分が倒れたとき、今のメンバーが同じだけの給与と成長環境を得られる会社に行けるようにしなければ——そういうことばかり考えて悩む人だった。そこが軽くなった、と。
100%売った社長と、2段階の社長の違い
譲渡経験者との交流のなかで、吉松さんは違いを観察していました。100%売却して一気にやる気がなくなってしまった社長も、実際にいる。一方で、アーンアウトや2段階というパターンの社長たちを見ると、みんな結構頑張っている。自分も残り3割を一生懸命頑張ろうと思える、と。
2段階イグジットは、金額の設計であると同時に、モチベーションの設計です。 この構図は複数の譲渡経験者が共通して指摘しています(売却後に何が変わるか)。
想定外だったこと ―― 買い手も初めてだった
うまくいった事例ですが、統合には苦労がありました。
僕も初めての経験ではありますし、親会社さんも初めてのM&Aだったんですよね
初めて同士ということもあって、どうやって統合していこうかという話し合いのときに、あまり正解が見つからない。さらに、FAは売却が終わるとスパッと離れたので、そこからは当人同士の話し合いがずっと続いた。
買い手のM&A経験値は、譲渡後の負担に直結します。 トップ面談の段階で「過去に何社買っているか」「統合をどう進めるか」を確認しておく価値があります(トップ面談で何を確認するか)。
一方で、統合の恩恵も具体的でした。バックオフィスは完全に移行でき、以前は「僕に連絡が来てOKかどうか」だった承認プロセスが、どの権限の人までいくらまでOKかがシステム上で明確になった。そしてオフィスです。西新宿のオークタワーという相当いいオフィスに入れた。5年目のベンチャーがこんなところに入っているのかと信頼され、採用がかなりしやすくなった。シェアオフィスから、自社ロゴの入ったビルへ。採用市場での信用という、数字に出にくい効果でした。
売却後の変化 ―― 「時間を買う」
生活の変化について、答えが具体的です。
バコバコ何か買うっていうよりも、その時間をお金でなんとか買い取れないかなっていうのに躊躇なく使えるようになった
家事代行、タクシー移動、頭のリソースを割かれないように外に出せるものは外に出す。大きなものは買っていない。代わりに、人と会う回数は相当増えた。
もうひとつ、周囲からの見られ方も変わったといいます。一番最初に紹介されるときの自己紹介が「元サイバーの吉松さん」から「マーケティングのコンサル会社をやっている吉松さん」、そして「20代でM&Aした吉松さん」へ。見られ方も、一緒に話す内容も変わる。仲介会社が同じくらいの時期に売却した人を繋いでくれ、それぞれの悩みを聞けるコミュニティもできた、と。
次は買い手へ
2話目のテーマは「次はM&Aの買い手へ」でした。売却で得た経験と親会社の資本を背景に、今度は自分が買う側として事業を広げていく構想が語られています。売却は終点ではなく、次の打ち手の起点になっています。
この記事のポイント
- デューデリジェンスは年に一度の健康診断として使える。 決算書を専門家に見てもらい、指摘を1年かけて直す
- まとまらなかったディールは失敗ではない。買い手の指摘は最も精度の高いフィードバック
- 売り急いでいる会社は、買い手から不安視される。 順調で売る気がない時期のほうが条件はよくなる
- 2段階目の計算式(営業利益の数倍×残株)は、1回目の契約書に盛り込める
- 社員の給与・人事制度に口を出さないという条件を、先に握る選択肢がある
- 2段階イグジットは金額だけでなく、譲渡後のモチベーションを設計する手段
- 100%譲渡した経営者は失速しやすく、一部を残した経営者は走り続けているという観察
- リスクを取れる状態になると、成長率そのものが変わる(ヒット狙いからホームラン狙いへ)
- 買い手のM&A経験値を、面談段階で確認する。 初めて同士だと統合の正解が見つからない
- 上場企業グループ入りの効果は、採用市場での信用にも表れる